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2006年11月02日

その後の食育指導戦士

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地味にやってます。

近所のマクドナルドが24時までやっているので、早く終わった日は帰りに寄って勉強してみたり。

4人席にノートPCと書類を広げてお仕事しているサラリーマン、資格試験の勉強をしているOL風女性、集まって勉強している大学生と、夜のマックは大人の自習室のようで居心地が良いです。

テキストを3冊終えて、あと2冊。添削課題を1回と終了のレポートを提出したら終了です。
もうひとがんばり。

今日は、勉強をすすめながら思ったことなど。

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テキストには飽きさせないためか、コラムページもあるのですが、気になるのが
「私達の子供の頃は○○したものですが、最近の子供は△△・・・」という表現が、たびたび登場する点。

私達の子供の頃は暗くなるまで外で遊んだものですが、最近の子供は塾や習い事などで・・・
私達の子供の頃は母親の食事の手伝いをしたものですが、最近は個食がすすみ・・・

“この時代”に生まれてきた“最近の子供達”は立つ瀬ないなあと、思ってしまいました。
ニュースを見ていても思うことですが、“世の中がおかしくなってきてる”“子供達がおかしくなってきてる”と、いつの時代の誰ともわからぬ相手と比較されて「なんかおかしい」と言われるのは、しんどいだろうと思うのです。

「私達の子供の頃は・・・」なんて、自分でもよく言いますし、日常的に耳にする言葉です。
それが、テキストの文中で見るとやはり違和感があって目を止めてしまいます。
教育の対象をエイリアンにしてしまうような、そんな感じがしたのです。
理解できない相手を自分たちの世代の馴染みの方法にあてはめて従わせればそれで済むことなのか?そんなエイリアンの調教みたいな作業が教育なのか?

思うところの多い今日この頃です。

投稿者 TYD : 01:44 | コメント (0) | トラックバック