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2010年12月03日
失って気づく、ありがたい教え
失って初めて気づく、親の教え、ありがたみ・・・
ありますよね・・・(涙)
先日、ガラケーマンセーなリコが長年愛用して参りました、
ケータイちゃんが真っ2つに割れてしまいました。
↑辛うじて配線1本でつながった上下を無理やりくっつけて、テープでぐるぐる巻きに!!立派なストレートフォンに変身してくれました。
妙に気に入ってしまい、「しばらくコレでいく!」と張り切っていたら、豊嬢にあっさり却下されまして。結局おめおめとiphoneに機種変したんですけどね。それからもう、辛くて辛くて・・・
テレビが観れないの!!
観られるようになるアイテムがあるのは
重々承知なのですが、なんか、違うの!!
あのガラケーちゃんとは24時間一緒だった。
気づけば70%近くはテレビとして機能してたように思う(多過?)
ジップロックに入れて、お風呂でも観ていた。
それがあたりまえだと思っていた。
いまでは夜、お風呂に入るタイミングを逸し続けている・・・寝不足だ。
お風呂用DVDプレイヤーも持ってるし、
iphoneでいろんな動画みれるじゃん!(ジップロック入れれば!)
「でもなんか違うんだよ~!」と叫んでいて、
なにが違うのか、考えてみた。
DVDやネットで動画を観るのって、
「観たい動画」を観るのだ。
いいじゃないか、それで。
でも私にとってテレビって、「観たい動画を観る」もんじゃなかった。
観たいものも観たくないものも、どっちでもないものも全部観る!!
そうしてあーだこーだ言う!(思う!!)
典型的な核家族な家庭で末っ子として育った私にとって、
テレビは環境だった。
おばあちゃんが同居している子や、兄弟が多い子が世の中にいて、
その環境に影響を受けて育つが如く、
私にとって親戚のようにテレビは環境だった。
テレビに育てられて、私に養われたもの・・・
それは「批評視点」だったのだ!と、
今回のガラケー真っ二つ事件で気づかされました・・・
ありがとう、テレビ、いままでありがとう・・・
もともとテレビCMのコラムを書くことから、
「RIKOmania」のキャリアはスタートしたわけですが。
冗談でよく「テレビっ子なだけで会社を作った」なんて言ってたけど、
この長年培った「批評視点」のおかげで会社をやれてるな、と、
あらためて頭が下がる思い。ほんと、テレビのおかげ。
マジで禁断症状がでかけてるので、
(まだ機種変から一週間経ってないけど)
防水ポータブルワンセグをGETしにBIC行ってきます!!
もう無理!!!!!!!
投稿者 riko : 2010年12月03日 14:56