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2009年02月16日
ちゃんと写真にうつるということ(心霊的な意味ではなく)
先日、ちょいとお手伝いしてるガールズサークルの、
JK(女子高生)チームが打合せをしたいというので、
アジトを貸してあげた。
そぉだよね、渋谷はどこも混んでるし、
マックにいるにもお金かかるもんね。どうぞどうぞ。
そんなある日の一枚。
↑JKのイベントやる気あるぞオラッチーム(いま勝手に命名)&代表のミツキちゃん☆
↑ミカちゃんは去年のJKクリパの時もアジトに遊びにきてくれたね~。制服で登場し、いきなり目の前でコスプレに生着替えを披露してくれるという、衝撃の初対面だったw やっぱ体育の授業とかが日常的な彼女たちは、脱ぎっぷりが違う!着替えが超早い!(爆)
それにしても!
なんてパッケージ感のある、ちゃんとした写真うつりなんだろうか!
タイに行った時、子供たちの顔が後光が差すほど知性を感じる
しっかりした雰囲気なのに、
なんで大人になるとこんなにハッピーなダメダメ感タップリになるのか、
本当に不思議に思ったのだけど。日本も同じですか?w
それともプリクラの基本機種がバストUP世代と、
全身世代とのポージング能力の差ですか?
この「ちゃんと」感ってなんなのだろうか!?
そこでリコのケータイに入っている、
ココ数ヶ月の友人たちとの写真で検証したいと思う。
【検証:視線をくれない】
いわゆる撮影現場での「視線もらえますか?」ってヤツです。
基本的にカメラ目線率が断然低いことが判明・・・
↑いいお酒過ぎて飛んじゃってんだから、いたしかない@場所不明
【その他】
で、こうして並べて結論は。
「他人に良く見られたいっていう欲」への「照れ」の有無だな。
「かわいく写りたい」ってキモチが伝わる写真も、
うまく写れなくて照れてる写真も、
「他人に良く見られたいって欲」の存在を認めてる。
照れた顔で写っている女の子ですら、その存在は認めてるワケで。
写るコトに照れても、欲望への照れは無い、と。
そこにきて、ウチラの写真は照れまくりである。
照れてる写真って、こっちも恥ずかしくなる。
そのくすぐったさが、愛しい。愛くるしい。
だからフツーの記念写真って、つまんないのが多いんだろう。
「記念だから」「集合写真だから」「ちゃんと写ろう」って、
カッコつける自分を肯定しやすいもんね。
と、それにしても、JKのみんなは本当に撮られるのが上手だ。
こんど、働く女子集団で、ポージング講座を開催しますかね。
このままでもステキなんですけどね。でも飲み会とかで、
「この子カワイイ(orカッコイイ)から、今度紹介しますよ~」って、
気軽に紹介できる写メがケータイに一切入って無さ過ぎる!w
あ~大人って楽しいなぁw
投稿者 riko : 2009年02月16日 18:46